ビッグテックの大量解雇が意味するもの
googleが大変なことになっている。
いや、googleだけではないようだ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/229463
広告収入が減っていてgoogleなどの広告収入をビジネスモデルにするような企業は打撃を受けている。
広告収入が減るということは当然、テキスト配信はおろかyoutuberも広告収入が減っている。
しかし、googleに代表されるいわゆるGAFAと言われるIT企業、特に広告収入をビジネスモデルにしている企業は、世界のビジネスを牽引しているはずなのに何故こんなことになっているのか?
コロナのせいで広告主が掲載を控えているのが原因が大きいだろう、とはよく言われていること。
twitterやyoutubeはコロナに関して情報規制をしていることは周知のとおりだし。
そうすると、このコロナ騒動を主導しているビル・ゲイツのなんとな財団だとか、ジョージ・ソロスのような世界中のお金を握っている人たちは、GAFA企業の経営に口を出せるほどの存在だ。
ならば、わざわざコロナを世界中にまき散らすことは自分たちの首を絞めることにならないのか。
自分たちが握っているGAFAの経営悪化は自分たちが撒き散らしたコロナが原因なのに。
まさか、こんなことになるなんて!なんて世界のあらゆることを牛耳ってると言われる人たちが予測できないなんてないだろう。
あの人たちはGAFAを潰して世界を変える何かを計画しているのか?
先日読んだスタートアップに関する本によると、イノベーションは破壊によっても起こるそうだ。
いわゆるGAFAを破壊して新たな世界を作り出そうたしているのか?
それが何なのかは分からない…
なにかヒントはあるのか。
ダイヤモンドマルチスコープの山崎元×馬渕との対談
安倍晋三さんの銃撃事件を受け犯人と目される容疑者の家族背景から、統一教会と自民党との関係の問題に対して山崎元さんの話に興味を持った。自民党の政治家個人的な繋がりに非があると党としてのスタンスに幹部の茂木さんは元々コンサルタントとしてこのような問題解決を得意としているはずなのに、自民党としてのやり方に企業なら失格。と山崎元さんは言う。例えば総会屋と企業との関係に対しての問題解決のように、党としての立場で統一教会との関係改善を図れなかったのか。そんな話の内容を聞いて、あの問題を企業と総会屋との関係改善と照らし合わして語る視点に面白いなと感じた。
その一方、何かとても大きな、自分の知識と山崎さんの話との間に溝のような物を感じたことは無視ができない。
その溝というのは、いまや当たり前のように言われている統一教会や企業と総会屋との関係にそれぞれどんな問題があるのか知らない。
統一教会って桜田淳子とメガネのまじめ君みたいな男性との合同結婚式をテレビで見た違和感や、高いツボを売りつけられるなにか関わってはイケないもの。ということしか頭にはない。同時に株主総会で総会屋と企業が争い合っているというこれもまたテレビのニュースで見て面倒な話だな。程度のことしか知らない。おそらく一般人の知っていることはこの程度なんだろうと思う。どちらにしてもあんまり自分とは縁がないし、関わり合うものではないからというのが原因なんだろうけど、こういった私のつたない知識と山崎さんの知識との間にある溝を埋めたいと思うとき、どうすればいいのだろうか。ウキペディアで調べれば良いことなのか。統一教会ってグーグルで検索して表示される内容で埋め合わせられるのか。なんかそれは違う気がする。が分からない。それならご本人に聞いてみるしかないのかな…などと不躾なことを考えてみた。
日比谷高校数学入試に挑戦
唐突なタイトルだけど、色々な条件が重なり来年の日比谷高校の数学のテストを受けようと思う。思うって言っているけど、おばさんな私が来年に日比谷高校に行って受験するわけではないので悪しからず。今まで算数の復習をなんとなくやっていたけどなんの目標もなくダラっとしているのも張り合いがないので決めた。
ナゼ、日比谷高校?ってあるかもしれないけどこの辺の理由は後でブログにしたい。
そのために何をするべきなのか分からない私はネットで色々と見てみたけど確実な事は誰も教えてくれない。
なのでココナラというサービスで東大出身の先生に計画を立ててもらった。
詳しくは言わないけど、ザックリと言うと、数研を受験することを初めの目標としよう。
次回は5級の過去問を解いてみるのでその感想をば。
なんで私は算数と数学ができないのか
ちょっと雑な表現だけど、なんで私は算数と数学ができないのか。このできないとは日頃の勉強やテストにおいて正解が取れず点数が低いことである。
私は小学生のころは余り自覚は無かったが、算数が得意ではなかったように思う。それがハッキリと自覚したのは中学に入って直ぐの数学のテストで20点台を取った時で自分でも点数の悪さに驚いた。ただその当時は数学のテストの点数が悪いことを意に介していなかった。それよりは部活のことや周りの友達との関わりの方が大事だったからだ。
それが結局あだになり、冴えない、なんの取り柄もない大人ができあがった。
勉強の中でも算数と数学ができないからって冴えない大人になるとは限らないじゃないかって疑問はある。
でもそれは単なる言い訳で、仕事のできない冴えない人は算数と数学のようにきちんと考える事もあんまりできないんじゃないか。
今はそう思っている。だからなにを今更、とっても遅いけどやらなきゃいけない。
できない理由を考えるって事はできることを増やすタネになるからだ。
出来なかったことをずっとそのまま放置してまた、同じ間違いを繰りかえす。それじぁ出来ることは増えない。
当たり前か。そんなことも分からないなんて。
前書きが長くなってしまった。
算数と数学がなんでできないのかを次に考えようと思う。
はしもと式「本当の算数力」が身につく問題集を5周回した感想
はしもと式「本当の算数力」が身につく問題集を5周回した感想。
相変わらず計算ミスがなかなか減らなくてへこんでいたけど、図形の問題は早く計算もでき、かつミスしないで解けるようにはなった。役にたったのは円周率3.14✕2から9までを覚えてしまって各位ごとに計算すると格段に計算ミスが減ること。少数の計算になると複雑になるから位を分解して計算し最後に合体すると足し算だけで用が足りる。
それと図形の問題は図の形も一緒に掲載してあることが殆なので視覚的に何を求めれば良いのかも分かり(かと言って正解にたどり着けるかはまた別の話…)考えていて楽しいっていうのが大きな収穫。
今後の方針は小学校の算数はひとます置いておいて中学数学に進もうと思う。だけどそれだと図形が好きになってしまった身としては物足りないので同時並行として中学受験用の図形問題にもチャレンジしていこう!
どんな問題集を選ぶかはまた次回の記事に書いていこうと思う。
複眼思考法その2
著者と対等な立場に立つ
そのためにまずは「私の大決断」をテーマにした作文を書くというお題。
私は次の様に書いた。
私の大決断の一つは結婚しようと決めたことだ。それまではただぼんやりと、いつかは結婚できるだろう、するだろうとたかをくくっていた。子供の頃から自己主張が強かった私は、大人になりカッコイイグラフィックスデザイナーになりたいと思って就職したが、何時までもたっても例えば、一流企業のポスターなどの広告デザインの仕事は回ってこない。年をとるだけで気がついたら30代も半ばだしもう、私にはグラフィックスデザイナーになるすべは無いことに気がついたときには、適齢期はとっくに過ぎていた。やはり一番の理由は自分の身の置き場が欲しかったのかもしれない。仕事から見放された(実は最初から相手にされていなかった。)ことに気づいた瞬間だ。
その時、私は結婚しようと決めたのだった。
なんとも幼稚な文章だが、これでもここまで書くためにアレコレ思案した。最初は別のテーマだったが、人に見せられるようなものではないし、表現方法を変えてみたりもした。
こうしたことは文章を書く著者とそれを受け取る読み手の間にある溝を考える必要性を示してくれる。
そのために読み手は著者の書いてあることをそのまま受け取っては真意が分からないままで、そのために複眼思考法が必要になるのはとても良く理解できる。ここに関しては疑う所はないように思う。
知的複眼思考法
新宿の本屋をブラブラしていたら、たまたま目に止まって購入。常に「自分の頭で考える」これが出来ていないなって自覚があるも。でも、どうすれば良いのか自分ではわからない。毎日SNSで情報を仕入れては分かったような気になり、たまに仕入れた知識を他人に披露してドヤ顔もしてみる。たまにホントかな?って疑問に思ってもそれ以上考えが進まずスルー。そんなもやもらした気持ちを抱えているからこの本に何か少しでもヒントか欲しいので内容に期待したい。
さて、ここからは実際読んでみたことをレビューしてみる。
序盤では人はいかにステレオタイプに侵されているか。たまにステレオタイプな発言をしたりしている人を見て、あ〜あ、あの人残念な人だね…なんて哀れに見てるけど自分だって同じようなもの。情けない…
知識を付けるために一生懸命本を読むけど、それだけでは自分で考えたことにはならない。また本を読みなさいとは親からよく言われていたケドね。でもじゃあ親たちはなんであんなに本を読めと言うのだろう。身につかないものって何だろう?と著者の先生から問題を投げられてしばらく考えてみる。ワタシなりの回答は以下のとおり。
昔を思い返して、大人からマンガばかり読んでないで本も(本を)読みなさい。言い尽くされた感はある。例えば、マンガと活字の本はよく対にされる。マンガだけでは得られないものがあることが隠されているのだろう。では本とマンガのへだたりには何があるのだろう。
マンガはストーリーを表現することに集中していることだ。一方、本はストーリーは小説になるし戯曲や台本は演者への指示がかいてある。さらにレポートや企画書などの記録、評論など様々な表現が可能である。
このように様々な本を読むことで自分なりに咀嚼して栄養にすれば、栄養不足ならずにバランスのいい考え方ができるのではないか。体も頭もバランスが大切なのを言わずもがな。いかにもマンガでは心もとない。こう書いていて自分の考えを文章にすることは考えがまとまっていい感じだ。
この知的複眼思考法をレビューをこの後もブログに書いていきます。
お楽しみに。